2021年の8月から2022年の5月までアメリカのシンシナティー大学へ交換留学に行っていたゆごです。
忘れないうちに皆さんに自分の留学の思い出の共有などこのブログで綴っていきます。これから留学を考えている人や、迷っている人、全く興味なかった人でも、私の記事を読んで前向きな気持ちになっていただけたらなと思います。
もちろんブログには楽しかった思い出だけではなく、辛かった思い出もたくさん書いていくのでぜひ参考にしてください。
TOEFL:79 / 英検2級 / TOEIC 740
これがどれくらい伸びたかはまた後ほどの記事で。。
私の派遣先大学はアメリカのシンシナティー大学です。交換留学生として2学期間この大学で授業を受け単位を取ることが必須条件になります。
実は、私の留学は2020年に予定されていたのですが、知っての通りコロナに全てかき消されました。。。(コロナめぇ)自分としては大学1年生の時から長らく準備してきたことだったので、行けなかったのが本当に悔しかったです。自分の中のプランが全て崩壊し、大学2年生の授業を放心状態で受けていました。
2021年もいけないかもしれないと思っていたのですが、6月に急遽、文科省が方針転換し、留学目的の海外渡航を認めるというビックニュースがあり、晴れて私は留学に行けることになりました!(残念だったな!コロナ)
とはいうものの留学まで2ヶ月しかなく、何も心の準備をしていなかった私は恐ろしいスピードで準備をしなくてはなりませんでした。お年寄りからコロナワクチンが優先されていた当時、若者の僕がコロナワクチンを無理矢理受けさせてもらえる場所を探したり、毎日毎日派遣予定の大学から英語でメールが届いたり頭が痛くなる日々が続きました。
メールは毎回Outlook経由で来るのですが、この独特な通知音がトラウマになる程メールを読むのが億劫でした。何言ってるかわからないメールがたくさん届くし、時々大量の添付ファイルが添付されるし;(
なんと言っても一番大変だったのが、住むところを探すことでした。6月に行けることが決まりそこから探しても正直手遅れです。寮に入ろうと思い、申請を出そうとするもwait listがいっぱいの状態。。。寮に住むのは絶望的です。
しょうがないので自分でシンシナティ大学近くのアパートやシェアハウスを探し、日本から部屋のオーナーに電話をしまくりました。(電話代がいくらだったのかは知らない。。。。)1ヶ月ほど調べをして、ようやく部屋がきまり一安心といった感じでした。
派遣先から送られてきた資料をもとに準備をなんとか進め、ようやく出国です。
スーツケース2個にバックパックを持ち、ウキウキで日本を出国しました。仲の良い友達が成田空港まで見送りに来てくれてほんと励まされました。
ウキウキと書きましたが、実際は膝ブルブルでした。今までずっと実家で過ごしてきて、日本を10ヶ月ほど長期にわたって離れる経験をしたことのなかった私は不安しか頭の中にありません。初めての一人暮らしが海外って想像できますか???(ピギャー)
息の詰まるフライトを14時間、アメリカにつきました。
空港から家までは無料のシャトルを大学が手配してくれたので迷わず利用。やっぱりアメリカのドライバーはよく話すんですよ。フライトで疲れている僕にとって、英語で街案内をしてくれるドライバーの話を聞くのは控えめにいって拷問でした。(笑)
先が思いやられる経験をして1日が終わりました。
やはりアメリカの家は大きい!日本のアパートに住んだことがなかったので、比べることはできませんでしたが、僕の部屋はどう考えても大きかったです。
ベットもふかふか、ソファーもあるし、秘書みたいなでかいテーブルに、偽物の暖炉まで!
家は写真の通り、とってもおしゃれでした。僕を含めてルームメイトは8人、1階にはオーナーの夫婦が住んでます。大学からは無料シャトルバスで15分ほど、近くにはスパーマーケットもあり不便はしません。
僕と同じ階のルームメイトは、サウジアラビア人(男子)、インド人(男子)、アメリカ人(女子)でした。みんな優しく英語がへっぽこな僕にもよく構ってくれました。特にインド人のルームメイトはアニメや日本文化が好きで、よく僕の知らない日本の昔話まで教えてくれる始末。どっちが日本人なのかわからなくなる。
唯一、不便だったのが洗濯機がコインランドリー式で毎回2.25ドルを硬貨で支払わなければならず、自分の好きな時に何回も洗濯ができませんでした。心では金を搾取しおってーと思っていました。すみません
とりあえず、#1はここらへんでおしまいにします。
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